SATOXのシテオク日記

~ふもっふ、ふもふも~

坂東眞砂子、起訴される!?

坂東眞砂子の「子猫殺し」。
SATOXはなんだかもう素直に悲しくて、話題にもしたくなかったんですけども、ちょっとした動きがあった模様です。
この度、タヒチ管轄のポリネシア政府が氏の行為を動物虐待に当たるとして告発する意向を示しているそうな。
まぁ、許される理由なんてあるはずないですから。

直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。

氏の行動は、命の尊さとかそんな格好のいい理由は全く通じないと思います。
例えば、人はものすごい数のニワトリを食べるために飼育し、殺して食べています。これをよしとするかどうかは非常に微妙です。ただし、たいへん生産的に人の営みの役に立っていることは間違いありません。
これは、突き詰めれば植物だって同様です。また、人間にとって都合の悪い動物を殺すこともまた同様です。むりくりにこじつけるなら、これは少なからず「生産的」と言えるでしょう。
しかしながら、氏の行動はとても「非生産的」で無駄に命を絶っていることに他なりません。
動物を飼うということは、飼われた動物にとってはもしかしたら不幸なのかもしれません。自然の中で自由に生きた方が幸せなのかもしれないですから。
そういった意味では、動物を飼うということは人間の傲慢と言っても言い過ぎじゃないでしょう。そして、その傲慢さを以て動物を飼うからには人間はその動物を幸せにする義務があるはずです。
飼っている動物の幸せを願うことが出来るのなら、産んだ子供をどうにかしていい権利なんて、本来人間にあるわけがありません。
氏は「子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。」と言うが、「家が猫だらけ」「近所の台所を荒らす」"事"よりも『つらくはない』そうで(笑)。
つまり何が言いたいのかというと「飼い猫」にとって、氏に飼われていることが不幸なんですよ。なんだかんだと持論を正当化する前に、御自分が動物を飼う資格のないことにお気づき頂きたい。不幸の起因なんですよ。



氏は批判に対し、2006年9月22日の毎日新聞に反論を寄稿して「充分な調査のない告発であれば言論弾圧だ」と主張しているそうな。言論は自由だけど、今回の話に関してはそれが本質ではないのでは……。