SATOXのシテオク日記

~ふもっふ、ふもふも~

「犬は可哀想だよね」というお話

水曜どうでしょうでおなじみのディレクター「ふじやん」と「うれしー」が放送局の番組サイトで日記を書いていることはどうバカであればご存じでしょう。
そのうれしーこと嬉野ディレクターの本日の日記がちょっと感慨深かったのでご紹介します。

■[水曜どうでしょう official website]

全文を転載するのははばかられたので、内容を書き換えてご紹介します。

嬉野Dが昔にお世話になった犬好きのプロデューサーからあることを言われたんだそうです。
 
「犬は可哀想だよね。」
「だって、ほら、犬は言葉が出来ないじゃないか」
 
と言うんだそうです。
そのとき嬉野さんの飼っている犬は毎日が楽しそうで、何がかわいそうなのか理解できませんでした。
それから15年の月日が経ち、その意味が分かったんだそうです。
 
ある時、今飼っている愛犬を施設に預けなければいけなくなったのですが、そのとき心が痛んだそうなんです。
からしてみたら、見ず知らずの人のところに置いてゆかれ、自分は捨てられたんじゃないか思い悲しんでいるのではないか、と。
 
もし、言葉が通じるのであれば「しばらく留守にするけど、また会いに来るよ」と伝えられるわけです。
 
と言うわけで、「犬は可哀想だよね。」という話が今ならで理解できると思ったそうなんです。

これは全くもって犬に限った話ではないですが、もし言葉が通じるなら動物を不安にさせてしまうようなことを回避できるかもしれないというお話です。
ちょっとペットのお話をしてしまうと、やっぱり動物は自然のままが良いと思うんです。
鳥などを家で飼うなんてのは、本来大空を自由に飛び回っていたいはずの鳥を籠に閉じこめて、鑑賞したり場合によってはコミニュケーションしたりしますが、それって度合いはともかく人間のエゴだと思うんですよ。
でも、もし人間のワガママで動物を飼う事を許してもらうのであれば、責任を持ってその鳥をできるだけ幸せに過ごさせてあげることが責務だと思います。
で、もし動物と言葉を通じ合うことができて、もしその鳥が「鳥籠から出たい」というのであれば、その鳥の幸せを考えて出してあげることもやぶさかではない、なぁんてストーリーもありえるんじゃないかなぁと妄想してしまいました。(まぁ鳥が知能的にそこまで意志を持っているのか、なんて話もありますが。)