SATOXのシテオク日記

~ふもっふ、ふもふも~

思いつきの新ルールは人々を混乱させませんか

自分が圧倒的に正しいなんて事を言うつもりはないのですが、ちょっぴり調子に乗った人はよく新しい文化をあまりよく考えずに取り入れ、主張して周りを混乱させることがあります。
特に一見正しそうだったり便利そうだったりする新しいモノはそのちょっぴり調子に乗った人が言うとそれらしく聞こえるので、半ば賛同されてしまい、中途半端に世の中に広がってしまいます。
でも、よくよく考えてみると、その文化を取り入れることによって何かがうまくいかなくなったり、そもそもそれが必要なのか意味が分からないと行った状況に追い込まれることがあります。
(いやね、それが公式に推奨されるもので一定以上の強制力と理に適った内容であれば、もちろんその限りではないんですけどね。)
 
例えば……。
 

TwitterのRTとQT
Twitterには「他人のつぶやきをリダイレクトする」といった場合にReTweetを示す「RT」と言った文化が登場しました。
メールのサブジェクトにある「Re: 〜」みたいなもので「RT〜以降の文はリダイレクトした内容」とわたしは理解しています。
んで、最近たまに見かける「QT」というもの。
リダイレクトする文に自分のつぶやきを加えた場合、RTではなくQTにしようという意味で提唱されています。
でも、よーく考えるとこれが本当に必要なのか。
「XXX以降はリダイレクトした内容」と定義した場合、「XXX リダイレクト」「自分のつぶやき XXX リダイレクト」の両方が満たされているはずで、自分のつぶやきを加えただけで「XXX」が「YYY」になるのは冗長で複雑化している文化だと思うわけです。
英語で「三人称複数形のときは動詞にほにゃらら〜」みたいな話、面倒だと思わないでしょうか。結局、分かりにくいから図で説明されていたり、初心者さんには全く意味が分からない話ですよね……。
実際に、「RTとQTの違いは?」「RTを使わないのは何故?」などの話を見かけることがあり、実際に混乱が起きているのは間違いないです。
早く公式Twitterによる公式なRTが日本アカウントやクライアントでも対応して、非公式や亜種の文化が淘汰されるとすっきりして良いと思うんですよね〜。
例えば1年後にどうなっているか?なんてのが気になるところ。
 
まぁ人の信じるところ頼るところは人それぞれですので自由だと思いますが、「SATOXはこう思う」というお話でした。